愛との対局

こんにちは。樂姫です。
ツインレイ に出逢う人たちは、今世の人生、なかなか簡単ではない人生だったのではないでしょうか?
その理由は、前回記事にも少し書かせていただきました。
良かったら、読んでみてくださいね。
ツインレイ に出逢いプログラムをこなしていくには、一般的な概念の状態からある程度、目覚めた状態でないと、自分が保てないほど相手に惹かれてしまい、おかしくなってしまう。
目覚めを自身に促すため、ツインレイ に出逢う前に、愛からかけ離れた体験を積んでいく。
本当の愛を知るためには、愛と真逆の体験が必要なのでしょうね。
今回は、わたしの人生で、一番「愛から離れた体験」を書いていきますね。
わたしの祖母は、未婚の状態でわたしの父を産みました。
そのため、父は、父親を知らず、母親も父が小さいうちに出て行ってしまい、親戚にたらい回しにされながら育ったそうです。
両親の愛を知らずに育った父は、自分の存在が「迷惑」であることを嫌い、中学を卒業してすぐに働き、働いたお金は育ててくれた親戚に渡すような生活をしていたみたいです。
そんな環境で育った父なので、愛情表現がとっても下手だったのだと思います。
そんなことは知らなかった幼いわたしは、なぜだか本当に小さな頃から、父が苦手でした。
父は仕事柄、自宅にいることが少なかったこともあり、母子家庭のように育ちました。
そのせいもあり、甘えることをしたこともないまま、成長と共に次第に父との距離は大きなものとなっていきました。
子どもの頃、父と話したり、遊んだりした記憶はほとんどありません。
そんな中、思春期に入り、細かいことは割愛しますが、父とトラブルがあり、わたしは心の底から、死を望みました。
誰にも相談できず、まだ中学生という社会的に親の保護下にある年齢であったため、自分は無力で、何も変えられない、逃げれない。
そんな無力な自分にもウンザリしていましたし、やり場のない氣もちを自分に向けることしかできず、次第にわたしは、「自分の存在が氣もち悪い!」と、自分を攻撃しました。
バスに乗りながら、「このバスが事故ればいい。事故って欲しい!!死にたい!!!」そう願ったりしました。
でも…自分で死ぬという選択だけは、どうしても出来ませんでした。
多分、この時からですね。
朝起きると、「まだ生きてる。死にたい。」そういう思いが湧き上がるようになったのは…(これ、最近ようやく湧き上がらなくなりました)
こんな死を望むほどの傷を、人はどうやって乗り越えていくのでしょう?
それは、『無関心』になることでした。
無関心になることで、わたしはわたしを保っていきました。
大人になったわたしは、父に対して、完全に「無関心」になっていました。
それは、「父が死んでも、どうでもいい。なんとも思わない。」という究極のところまで来ていました。
本氣で、どうでも良かったのです。だから、死んでも、と書きましたが、生きてても、どうでも良かったのです。
とにかく、「無関心」なので、父に関して、感情が全く動かなくなっていたのです。
なんか…書いていて思いましたが、わたしもツインのことを言えないほど、闇を抱えていたんですね…苦笑
では、どうやってこの「無関心」を克服したのか…
やはり、わたしの人生に衝撃なパンチを与えたのは、娘の存在でした。
読んでない方は、こちらどうぞ。。
わたしは、ここから本氣で生きることについて向き合っていき、どんどん変わっていきました。
そして、娘のことで、わたしだけでなく、家族もまた、生きることについて、いろいろ考えさせられたのだと思います。
自分の変化と共に、父が少しずつ変わりだし、父との距離も少しずつ近づいていきました。
カチカチだったわたしの心も、「赦し」が生まれてきていたので、父に対しても、「赦し」を感じはじめていました。
すると、みえてなかったものがみえるようになってきました。
それは、今まで「無関心」でみえなかった、父の愛情です。
いい大人になって、初めて父と一緒に仕事をする機会がありました。
働く父を、近くで初めて見た時、父は家にはほとんど居なかったけど、自分が、不自由なく育ってこれたのは、こうやって外で父が自分の時間を割いて、来る日も来る日も、ずっと働き続けてきてくれたからなのだと知ったのです。
直接、わたしたち子どもに、愛情を注ぐような表現をしなかった父。そのうちわたしが、無関心という硬い殻に心を閉じ込めてしまったためにすっかり、わからなくなっていましたが、間接的ではありますが、ちゃんと父の家族を思う氣もちがあり、行動し続けてくれていたのです。
そして、父が何氣なくわたしに「コーヒー飲むか?」と訪ね、わたしの肩をポンと叩きました。
わたしたち親子は、こんなスキンシップをとるような関係はなかったので、わたしはハッとしました。
この瞬間に、わたしの中にあった、何かとてつもなく大きなものが、ガラガラと音を立て、崩れていきました。
長年持ち続けていた、「全てのわだかまり」が、溶けていきました。
そして、初めて自分の本当の氣もちが現れたのです。
「わたしは、父に愛されたかった。。。」
びっくりでした。
自分が、父から愛されたいと望んでいたなんて。
父から愛されたいなんて、言葉にすることさえ、氣もち悪いと思うほどの嫌悪感がありました。
それなのに…
本当は、強く父に愛されたいと望んでいた。。
自分の本当に望んでいたことを知った。
それだけでした。
たったそれだけで、わたしの、愛との対局にあった「無関心」は、溶けてなくなりました。
ただ「愛されたかった」という思いを自分にもひた隠し、「愛を知る」ために、わたしは死を願うほどの体験を通して、愛からかけ離れ、対局にある無関心に向かい、「無関心を知る」のですから、人生は滑稽ですね。笑
わたしと父は、本当の親子なるまで、長い時間がかかりました。
親子であったのに、お互いの人生をほとんど知らず、まともに話したことがないので、父が好きな食べ物を知ったのは、38歳でした。笑
今、親子の時間を取り戻すように、時を共に過ごすことが多くなりました。
父もまた、「娘を愛したかった」だけだったようです。
今は、父も愛情表現が少し上手になり、時々めんどくさいと思うくらい、愛を感じます。
そしてわたしが、父に本当に感謝したのは、『生きていてくれた事』でした。
もし、わたしが「無関心」のまま、父が死んでいたら、わたしは「無関心」を乗り越えることは出来なかった。
一生、父に「無関心」のままだったと思うと、恐ろしいです。笑
本当に、生きていてくれて良かったです。
父親というのは、人生で一番最初に出逢う「異性」です。
ここに何か問題を持つことは、ツインレイ との関係にも大きく関わることだと思います。
ツインとの関係を築きたい場合、両親との関係で持つ「課題」はとっても大きく、必ず克服していくことになると思います。
わたしは、父親に愛の対局である無関心を学ばせていただきました。
今、自分が望むものの対局にいたとしても、どんな対局でも乗り越えられるとわたしは思いますし、望むものを知るために、望まないものを体験することは、必要なことなのだ、とお伝えしたくて、書かせていただきました。
ただ、人は進化していきます。
一度氣づきを得たら、もう戻ることはありません。(自転車に乗れる人が乗れなくなることがないように)
ですから、自分の中に対局がなくなった時、望まない体験をする必要は無くなりますし、「望む未来を直接、創造するステージ」に入るのかもしれませんね。